コーヒーは宗教と一緒?

コーヒーのうんちく・テクニカルなお話は、YoutubeなどのSNSでいろんな方がお話しされてるので、ここでは特に書きません。
ただ、最近コーヒーについて思うようになったことをつらつらと書いていきたいと思います。

最近、コーヒーって宗教と似ているよなって思うようになりました。
突き詰めると、それならドリンク全般が宗教でしょ?ってなっちゃいますが、ここは、コーヒーに限って。

コーヒーは、豆が違えばもちろん味は違うのですが、同じ豆でも焙煎や器具、はたまた淹れ方によって、味が変わります。
そして、私はここに正解はないと思っています。
前提として、味覚は個人個人で違うもの。ある人が美味しいというものが別の人にとっては不味かったり、その逆もあったり。
確かに、誰が飲んでも不味くなる淹れ方というのはあります。
でも、最終的には、個人の味覚的な好みが決めるものなので、自分が美味しいって思うコーヒー(あるいはお店)を楽しめばいいと思いますし、それについて他人がどうこう言っていいものだとも思いません。

で、宗教です。
とは言っても、宗教に詳しいわけではないので、完全にイメージでの話ですが。

例えば、コーヒーの淹れ方。ドリップ・サイフォン・エスプレッソ・フレンチプレス・水出しなどなど。鍋で煮出して飲むなんていうのもありますね。
コーヒーを仏教で例えるなら、ドリップやサイフォンなどの淹れ方の違いは、南方に伝わった仏教だったり、日本に伝わった仏教だったり、中国の仏教だったり、各地に広がって独自に変わっていった仏教としましょう。
そのなかでも、たとえばドリップを日本に伝わった仏教だとします。
KONO・ハリオ・カリタ・メリタなどはご本尊あるいは〇〇系ってとこでしょうか。
ネル・ペーパー・金属・セラミックなど、フィルター類は、浄土宗とか日蓮宗とかの宗派って感じでいいのかと思います。
その先の、細かい淹れ方(温度とか点滴なのかどうかとか、中心だけに注ぐのか周りまで注ぐとかなどなど)は宗派門流(〇〇宗△△派)。
なんなら、それぞれの淹れ方の解説は、お坊さんの説法か?

そういうふうに考えたら、なんかしっくり来ませんか?私だけでしょうか?
私だけかもしれませんが、そう考えると、コーヒーの淹れ方に統一した正解はないって思えてくると思います。

いいんですよ。自分の好きな淹れ方で、自分が美味しいと思うコーヒーを飲めば。
そして、他の淹れ方を決して非難・否定してはいけないと思います。
そうです、信仰の自由なんです。

最近、当店にも、コーヒーのうんちくを述べ、自分が気に入った豆・淹れ方以外は不味いというだけならまだしも、他の淹れ方を批判されるお客様が散見されます。
そもそも、喫茶店の店主に向かってうんちくを述べること自体に感心してしまいますが、正直言って、このような方には、コーヒーは飲んでもらいたくないと思ってしまいます。
それよりも、コーヒーの知識がゼロでも、素直に、飲んだコーヒが自分に合っているかどうか(美味しいと感じるかどうか)で飲むコーヒーを選び、合わないコーヒーを批判することなく、そっちが好きな人もいるよねと思ってもらえる方にコーヒーを楽しんでいただきたいと思っています。

自分に合った淹れ方・飲み方で、そして楽しく飲む、それが世の中で一番美味しいコーヒーだと思います。

特に内容のない話でしたが、ここ最近感じていることを伝えたくなって、ブログにしました。
自分がイメージとして捉えたのが、私の乏しい知識の中でわかる範囲の仏教だったというだけで、コーヒーと仏教を直接結びつける話でもないですし、宗教的な部分に関しても、イメージでの話ですので、そこは温かい目で、なんなら目を瞑っていただきたいと思います。

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